ma*nani通信Akemingのステキな日々


2014年10月のma*nani通信

今後の予定

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ブルーベリージャムを作りました。

甘さ控えめです。

 

写真の演出に、ハロウィン小物置いてみました^^

12年くらい前にフロリダのディズニーワールドに行った時に買ったパンプキンミッキー。

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もうすぐハロウィン終わっちゃうけど、自宅はハロウィンにしてます@一人暮らしw

 

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週末には片付けて、今度はクリスマスか~

なんか、あっという間に一年が終わっちゃうね~~~~

 

さて、ブルーベリージャム写真のテーブルに散らばっているのは、ドライブルーベリー。

こちらは、お花屋さんで買ったブルーベリーの木をドライにしました。

もともと、こんな青々とした緑色のブルーベリーだったのだけど、、、

 

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枯れてきたので、干してドライにしたらちっちゃくなっちゃったw

捨てない限りは、このままってすごいね!

 

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クラスの時はお花を飾るので、ドライフラワーも増えました。

あまりたくさんあっても飾れないので、限定していますが。

 

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さて、

クラスの話題が出ましたが、現在、Class A's Kitchen。はお休みをいただいておりますm(_ _)m

クラス専用ページには、マレーシアに行く際に「8月~休講」というお知らせをしております。

 

私のクッキングクラスについて>>>Class A's Kitchen。

 

お知らせをした当時、8月にマレーシアに渡り10月に一時帰国、そして、同月中旬から半年近くのKL滞在の契約になるはずだったのです。

ところが、諸事情によりマレーシアの今後の仕事はキャンセルになりました。

 

そんなわけで、次のクラスの日程のお問い合わせを個人的にいただいたりしているのですが、今、東京で旅に出ており(???)クラス再開は来年になります。

力を溜めて再開したいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

詳しくは、今週末に、クラス専用ページにて書きたいと思っていますφ(・ω・ )かきかき

 

そして、クラス専用ページの話題が出たついでに・・・(ついでが多い!w)

 

新たに追加した「KLの窓辺から」

マレーシア滞在が長くなると思ったので(^^;;

わざわざコンテンツ追加して、日々の生活を綴る予定でしたが・・・

 

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マレーシア生活は早々と幕を閉じてしまったので( ̄▽ ̄;)!!ガーン

とりあえずは、カメラにある写真をもとに過去の記録を綴ってみようと思っています。

実際にKLにいるわけではないので、ライブ感が薄れますが・・・汗

 

KLでの記録>>>KLの窓辺から

 

そのうち、別の国に長く行くことになったら、タイトルを変えて(Σ(^∇^;)ええー)ページを続けさせようと思ってます。

「異国の窓辺から」とでも変えて、カテゴリーで「KLの窓辺から」とか「パリの窓辺から」とか。

 

・・・が!

海外に行く話は、今のところ、まったく出ておりましぇんww

 

「ホノルルの窓辺から」を書きたいな~w

(って、海外に行く話はないのだけど!!妄想!www)

 

 

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ちなみに、こちらの写真は、2010年のものです(^^;;

ホノルルのフォトグラファーに撮影してもらった写真をホノルルのホテルのラナイに立てかけて撮ったもの。

遠くにハワイの海が見える!

※余談・・・家にこの写真を飾っていたところ、息子に「お葬式の写真みたいで嫌だから飾らないで」と言われた(^^;;

 

髪の毛長いね~

最近、久々に短くしたものだから、ロングへアの自分に違和感!

 

話が飛びまくって申し訳ないのだけど(いつものこと)

髪の毛切りました。

イメチェン!といっていいくらい!

すっきりしました~

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ボブの時とは違う雰囲気だよね^^

くせ毛を生かしたヘアスタイルにしたのです。

でも、スタイリングが難しくて~~~

 

ブログの最後にお印のように貼り付けている署名のようなバナー。

前回から変えたの、気がついた方はいるかな?

 

Akemingnew2.JPGのサムネイル画像

 

 

 

 

 

 

 

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私が奥の存在と交信し始めた時(41歳)、頭の中に不意に現れた早朝の森。

朝の光が射す森の中をさまようように、私は白い洋服を着て歩いていた。

 

トップの写真は、私の一人旅香港にて。

雨上がりの靄の森が神秘的で、前述の不意に脳裏に現れた森のシーンに似ていた。

この時は、龍の通り道を探し歩いていたのだった。

4日間の短い旅。

どこに龍の通り道があるのか、勘だけを頼りに向かったのがこの森だった。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

「神様の道を歩く」をタイトルとして、マレーシアでの気づきを書いてます。

前編、後編、、、そして、あとがきを二回書きました。

あとがきを一回で終わらせるはずが、2回も書いてしまい、まだ終わらずw

今日は3回目のあとがき、というか、全体のまとめとなります(-_-;)

マレーシアでデング熱になったことで得た素晴らしい気づき。

その気づきの過程を文章に残しております。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

さて!

「神様の道を歩く」をそろそろ〆なきゃね(^^;;

でないと、別の話題を書けないので。

 

綴ってきた四話。

一話でまとめるはずが、書いているうちに長くなってしまった。

理解し難いことを書くことになるかな~と懸念したのね。

それで、「わかりやすく!!」・・・と思ったら、話が飛んで長くなってしまったのさ(^^;;

というわけで、あちこち話を飛ばしましたが、最後に「なるほどね!」と理解していただくために、わざとそうしました。

最後に、点と点を繋げられたら理解はより深くなります。

すべてに意味があり書いています。

 

paperでは!!

初めて読まれる方、そして、読んでいるうちに何が何だかわからなくなった方wのために、振り返ってみましょう。

(※実は、あたくし自身もどんな風に書いたのか忘れております・・Σ(^∇^;)えええええ~)

 

pen 神様の道を歩く(前編)

気づきのための波が立ち始めました。

楽しい海外生活を送っていたところの出来事。 

デング熱発症の事実@マレーシア。

ディンギーフィーバーにかかった事実の奥には、そうなった理由と結果があった。

ということは・・・マレーシアに行くことは決まっていたということ???

 

pen 神様の道を歩く(後編)

私が住まっていたマレーシアの部屋から見える森に向かって対話をしていたら・・・

デング熱になるタイミングは、計算されていたこと、と思えた。

気づきを得るために起こったこと、そして、その時の私の状況。

少しでも計算が狂うと素晴らしい気づきを得ることはできなかった。

計算とは、私の精神状態、生活状態、その他諸々。

私の人生のシナリオに書き込まれていた見せ場のひとつ。

見せ場なのだから、完璧に演じなければね。

 

●前編・後編は、マレーシアで起こったことを中心に書いています。

そして、あとがきに続く。

 

pen 神様の道を歩く(あとがき)

幼少時代のブスな笑い顔の写真を公開ww

でも、無垢な気持ちで笑う私の写真を公開したことは意味がある。

笑顔の奥に私を守る存在がうっすらと現れているから。

その自分の中の不思議な存在のことと、お金の状態の表裏を私なりに味わったことを書いた。

そして、話は戻り、マレーシアで高熱が出ている時にホワイトセージを焚いて儀式を執り行った。

儀式とは???

不思議な存在と関係しているのか?

文章中にこんなことを書きました。

>心の奥深くまで浸透するくらいに過去の出来事の意味を理解できたのは、あのマレーシアのデング熱騒動のおかげなのです!

過去の出来事の意味とは?!
    
 

pen 神様の道を歩く(あとがき2)

また話が飛び・・・

2014年の私の年表を書き出した。

書き出してみるとわかるけれど、状況の変化が激しい。

波がうねっているのがわかる。

そして、崖っぷちに立って、悔しさと惨めさに泣いて泣いて。

飛び込もうとしたその時、長期マレーシア行きが決まった。

導かれた、としか言いようがない!

そして、脚本通りに海を渡り、マレーシアから帰国したら私はすっかり人が変わってしまった・・・

 

以上。

 

ε-(;ーωーA フゥ…

 

また長くなってるしww

 

でも、今日は仕上げます(^^;;

長くなるよ、きっと。

ごめんよ(-_-;)

でも、文庫本一冊読むよりは短いから。。。(゜ー゜;Aアセアセ

がんばって読み終えてくださいますとうれしいです。

 

てなことで、やっとこさ、本文。

 

えっと。

まずは、「あとがき」に書かれている、高熱とひどい頭痛でふらふらしている時に執り行った儀式。

 

ネイティブアメリカンが戦いの前に焚いていたというホワイトセージを焚いた私。

時刻は忘れたけれど、たぶん1時とか2時とか、深夜だったと思う。

私の脳内は通常の様子と違って、ちと、ぶっ飛んでいたと思う(^^;;

とにかく、儀式を執り行うために、部屋を清めよう、と思い立った。

 

さて、部屋が清められたら、私は真っ暗な部屋のベッドに横たわった。

この晩は、悪寒と発汗の繰り返し。

悪寒がやってくると、常夏の国なのに、布団二枚に毛布にバスタオルまでかけて、熱は40度近かったと思う。

そんなつらい状態でありながら、儀式をスタート。

私は記憶を戻せるところまで過去に戻した。

そうして、頭の中で自分の成長を順を追って再現したのであった。

謝罪すべきこと、感謝すべきこと、この二つに絞って記憶を呼び戻した。

過去の自分の過ちをくっきりと記憶に呼び戻し、その罪の告白すると共に、悔い改めて感謝の気持ちを述べたのね。

誰に・・・?

それは、神様にです。

だから、懺悔ということ。

 

まずは、自分の魂がさまよっているシーンが現れ、父と母のもとに生まれたことに対する喜びと感謝の気持ちから始まった。

そうして、頭の中では、過去の私がどんどん成長していった。

3歳になったばかりの秋。

夜中に母がいないことに気づき、家中を探し回る私。

祖母は黙って一緒に探してくれた。

母は弟の出産のため病院だった。

 

47年前のことを思い出しながら、マレーシアで私は涙した。。。

「お祖母ちゃん、ありがとう。「ママは病院だよ」と言わず、私の気の済むまで付き合ってくれてありがとう・・・」

 

そして、数年経ち、5歳くらいの私。

母が診療所を手伝いに行く日(たぶん、看護師の急な休暇による)、

私は診療所と自宅をつなぐ渡り廊下の自宅側の端っこに立っていた。

母がいないことが哀しくて、廊下で泣きまねをして「お母さーん」と叫んで。

2歳の弟は祖母と遊んで待っているのに、私は廊下に立って母が来てくれることを待っていた。

祖母が私を心配して様子を見に来てくれても、私はその気持ちを汲み取らず、だだをこねているシーン。

ここでも祖母に謝った。

もう祖母はこの世にいないけれど、きっと届くだろう、と確信して。

 

子供の頃の懺悔は可愛いものだった。

でも、成人になった途端、懺悔の数が増えて、過ちの度合いもひどくなっていく・・・

活字にしていたら目を覆いたくなるような嫌な過去の記録。

高熱でなかったら、こんなことできなかったと思う。

誰に咎められるわけでもない過ぎ去った事なのだから、できれば、このままそっとしておきたい。

でも、これは儀式と割り切って、すべて終えた。

 

私がこの儀式を思いついたのは、自分が異国で体調を崩したことに意味があると感じたから。

そこで、50年間の余分な垢のようなものを削ぎ落とすことで元気になろう、というところにたどり着いた。

 

この勘は外れた。

 

でも、外れたけれど、行ったことには意味があった。

ということは、勘は外れたけれど、行動は正しかったということ。

もっと先に意味が隠れていたので、勘は外れたけれど未来に導くための行為であるから、正しかったのだ。

懺悔は、途中で投げ出すことなく、完了させることに意義があった。

 

50年分の懺悔。

思い出したくない過去も、鮮明に脳に呼び起こした。

臭い物に蓋をするように記憶から葬ったつもりの過ちも、懺悔という形をとればこわくなかった。

他人に打ち明けるわけではないからね。

自分自身で蓋を開けて取り出して、すべて自分が清算した。

だから、明け方にすべて終わった時、私の中にはくさいものは一切なくなっていた。

 

ところが、気持ちの中は清くなっているというのに、体調は悪化。

一睡もできなかったのも原因だけど、寝られなかったの、本当に。

グッタリとしながら、朝を迎えたことに少し苛ついた。

「懺悔したのに何も変わらないのはなぜ?」

窓から見える通称「神様のいる森」に向かって泣き言。

答えは当然返ってこない・・・

自分で見つけるしかないものね。

 

cafe 休憩~w

高熱の中、深夜の懺悔儀式に続いて、次は前編後編に書かなかったマレーシアでの実際起こったことを書きます。

この事実から私は気づきを得たので、まずは事実を綴りましょう。

 

 

熱が出て2日目。

解熱剤も懺悔も効かなかったので、仕方なしに現実を直視して、KLのクリニックにかかった。

そして、その数日後、熱が下がってからの血液検査でやっとデング熱と診断された。

熱は下がったけれど、体中に現れた醜い発疹、そして、歯肉が紫色に変わり、骨が痛くて耐えられない!

血小板の数値がどんどん下がっていき、とうとう入院を勧められた。

私は不安な面持ちで尋ねた。

 

「あのぅ、、入院費はどれくらいかかりますか?」

 

私立のクリニックなので、自費で一日25,000円ほどかかるとのことだった。

私はクレジットカードを所持していないし、所持金少なくマレーシアに来ていたものだから、恥かしながらも答えた。

「入院するためのお金がないんです」

 

保険に加入していたものの、現地で立替え型のものだったので、入院するならば一日に25,000円払わないとならない。

2日入院したら5万円!

すると、クリニックのスタッフに「gaverment hospital(公立病院)」を勧められた。

安いから、という理由で。

 

その時は、藁をもすがる思いだったので、boyに頼んでgaverment hospitalに連れて行ってもらった。

「公立といっても、マレーシア人患者が安いだけ。外国人の入院費はそれほど安くないと思うよ」

そんなboyのサジェスチョンも耳に入らなかった。

 

おおげさかもしれないけれど、運が悪いと治療を受けずに死んでしまうこともあり得る病気だったから、私も必死だった。

その日の尿の色がオレンジ色だったのが、大きな不安要素だった。

血液が交ざっているように思えたのだ。

内臓出血していたら治療を受けないとアウトだ!

 

さて、公立病院のエントランスには、たくさんのマレーシア人がたむろっていた。

見慣れない光景に少し引き気味の私。

日本のように個室に呼ばれることなく騒々しい雰囲気の中、予診を受けた。

が、しかし、いとも簡単に入院拒否された。

もっと重症にならないとベッドは譲れません、ということだったのだろう。

すごすごと帰宅・・・

 

とにかく静養するしかない。

仕方ない。

お金がないのだから。

お金があれば・・・

いい保険に加入していれば・・・

私立の病院に入院して、完全看護の部屋で安堵の中、ゆったりと眠りにつけたろう。

マレーシアの自室のベッドに横になりながら、惨めで涙がこぼれる・・・

 

お嫁に出るまでは、父がかかりつけ医なので、医療を受けることで困ったことはなかった。

むしろ、過保護に医療を受けていた。

嫁いだ後も、普通に医療を受けてきた。

夫が亡くなりがんになった時は慌てたけれど、保険に加入していたので十分な医療は受けられた。

仮に、医療を受けられないくらい貧困になっても、息子や兄弟が助けてくれる環境に私はいた。

 

しかし、マレーシアでは誰も助けてくれない。

お金がなければ、十分な医療も受けられない・・・

入院できなかった事実が私を傷つけた。

 

そうして、翌朝。

朝日が部屋に射す中、ふと思った。

あの公立病院にたむろっていた人たちは、十分な医療を受けられているのだろうか、と。

そして、あそこにも行くことができない貧しい人たちはどうなるんだろう?と。

きっと、お金がないことは当たり前として過ごしているはずだから、重い病気にかかったら、無念にもあきらめて命を落としてしまうのかもしれない・・・

でも、その人は、仕方ないと思って亡くなるのだろうな、と勝手に思い描いた。

それは、私がマレーシアで入院できないことを「仕方ない」と諦めたのと似たような気持ちなのかな、と思った。

勝手にシンパシーを感じて、貧しいマレーシアの人々を不憫に思った。

状況が違うけれど、私もお金がないから私立クリニックの入院を諦めた。

まあ、公立病院でも入院はできなかったのだけど、お金の有無で入院を諦めたことは確かだ。

お金がないのだから仕方がない。

私が傷ついたのは、過去に当たり前のように過剰なほどに医療を受けられた事実があったからだ。

マレーシアの貧しい人たちは、過剰なほどの医療を受けたことがないだろうから、私のように対比できない。

だから、淡々と事実を認めることだろう。

仕方ない、と。

もしかしたら、仕方ない、とさえ思わないかもしれない。

 

そう思ったら、大粒の涙がこぼれた。

泣けて泣けてしょうがなかった。

そして、その涙と共に、沸々と湧き起こった感情・・・

それは、慈悲。

 

私に何かできないのか?

 

自分だって生きていくのにたいへんな身なのでえらそうに言えないのだけど、

でも、えらぶってるわけではない。

気持ちは気持ちだ。

お金がなくても人のために何か役に立つことはできるだろう。

 

ならば、何をすればいい?

 

実家が医者という事実。

ならば、お金がない人の治療のために何かするのか???

いや・・・違う。

私は医学を学んでいない。

私には私のできることがあるはず・・・

 

そう思ったら、高熱が出た晩の儀式が繋がったのだった。

 

私は、自分が実家の先祖の下に命を預けたことの意味をしっかりと受け止めることができたのだ。

鳥肌が立ち、思わずベッドから飛び起きた。

森が見える窓辺に立ち、号泣した。

「神様、ありがとうございます。理解できました。私が生まれてきたわけと、今までの50年間の出来事に意味があることを理解できました」

 

熱が始まった翌日、私は懺悔をしたのに何も変わらなかった事実を哀しく思った。

でも、懺悔儀式を行ったことに満足していたらいけなかったのだ。

懺悔は、点と点をつなぐために行ったこと。

ここに気づいてやっと儀式を執り行った意味が成立するのだ。

すべてに意味があった。

 

点と点が繋がった一例。

たとえば、儀式の中のワンシーン。

私が社長時代のことだから、10年前?

銀座の餃子屋にビジネスパートナーと一緒にいる場面も高熱の中で現れた。

50歳の私は、マレーシアでその日のことを思い出して、パートナーに謝罪しつつ感謝した。

あの時は大喧嘩したのだけどね。

 

あの晩、私は、餃子をつつきながら夢をみるような瞳で彼に語った。

「私ね、患者さんのために使命をまっとうしている父と祖父のように、たくさんの人の役に立つ人間になりたいの。慈悲深く、愛を持ってね。だから、マリア様やマザーテレサが目標よ」

すると、彼はせせら笑った。

「社長~、あのね、それはお金がある人が言う台詞」

私は顔を赤くして反論した。

「父や祖父は、お金がない貧しい患者さんからは治療費をとらなかったの!私はそういうのを見て育っているわけで、私にお金があるない関係なく、私の気持ちを言っているだけ。夢を語って何がいけない?」

「はは。。。それは、違うね。たとえ患者から治療費を受け取らなくても、社会保険や国民保険の基金から病院にお金が入ってくるんだから、無償というわけではないよ」

 

この日、私はビジネスパートナーの前で泣いてしまった(恥

自分の思いを潰された悔しさからの涙。

傷ついたのね。。。

 

でも、懺悔儀式では、彼に謝罪してお礼を述べた。

なぜならば、彼の発言は間違いではない、と10年経った今はそう思えたから。

よく言ってくれたね、ありがとう、そして、実力もないのに頑固に夢ばかり語ってごめんなさい、と言って、その過去の蓋をはずして開放された。

 

こんな思い出したくない過去もいちいち取り出して、きれいにしいた私。

でも、その銀座の夜を思い出すことも大いに意味があった。

 

餃子屋の喧嘩の後、数年経ち・・・

マザーテレサやマリア様になるには、自分が満たされていないといけない、という結論に導かれた私。

でも、デング熱になり、公立病院に行ったことがキッカケで、また別の答えが見つかった。

奉仕とは、お金のあるないは関係なくて、気持ちなのだ、ということ。

自分が今できることをすればいい!

 

マレーシアの自室から森に向かって気づきの報告をしたその朝、やっと回復の兆しを感じた。

からだの発疹も薄くなり、歯肉も尿もいつもの色に戻っていた。

 

(≧▼≦;)アチャ

また長くなってる。

でも、このまま続けます。

 

ここから、最後のまとめ。

私の思いを述べます。

 

表裏一体とは、よく言ったもので、表と裏を経験しなければ真実は見えてこないのだな、と思った。

これは、今年になってから薄々気づいていたことなのだけど、表になったり裏になったり・・・の繰り返しで真実を知ることができる。

愛もそう。

人を愛することの定義はないと思うので、個々の愛に対する思い、かな。。。

その個人個人の愛の定義の真反対も理解する、または経験することで、その人にとっての真実が見えてくる。

両方をしっかり理解するためには、裏、表。。。だけでなく、もう一回裏、表、と何回も繰り返したりもする。

この表裏一体から生まれる真実に気づくと、人として生まれてきた喜びをひしひしと感じられる。

 

とにかく、私は、自分の先祖のもとに生まれてきた理由を知った今、目標がしっかり定められてよかった。

一から十まで、すべて、私の気づきはシェアできませんが、私の書いたことで何か浸透するものがあれば幸いです。

 

こうして、マレーシアに行くように仕向けてくれて、たくさんの気づきを与えてくれて、感謝の気持ちを送りたい人がいます。

それは、神様以上に好きな人。

 

Great thanks to Akeming!!

 

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デング熱になる前@KL

 

私だったから気づけたのだと思う。

あとがきにも書いたように、生まれた時から私を応援してくれた奥の存在。

私はその存在と交信できたから、よかったのかな。

不思議な体験や、不思議な導きを与えてくれた奥の存在。

そして、与えられるだけでは完結しない。

私という肉体がいないとね。

魂と肉体の融合は素晴らしい。

 

マレーシアに行ってよかった。

デング熱はつらかったけれど、希少な体験ができてよかった。

お金をたくさん持って渡航していたら、マレーシアに行った意味がなかったかもしれない。

公立病院に行ったことは意味があった。

そして、そもそも蚊に刺されなかったら気づきはなかったろう。

あと、デング熱が東京で流行っていなかったら、ウィルス性の風邪と誤診されたまま、私も納得していたはず。

すべて起こるべきことだったわけだから、私はスムーズにシナリオを進行させているということかしら。

 

 

今は今で、マレーシアで出された新たな任務を遂行してるとこ。

不思議なんだよね。

自分のできることをやればいい!と気づいた途端、指令が出されたのだから。

笑われそうだけどww

空から声がしたの。

空からの声は何度も経験ありだけど、具体的に任務を言い渡されたなんてはじめて!

それをキャッチできるかできないか、でシナリオの進行速度が変わってくる。

私は「これは任務だな」とキャッチできたので、ソッコー行動に移したよ。

任務終了はいつになるかわからないけれど・・・

今ね、裏返っていますよ。

今まで裏はやらない、と決めていたけれど、裏をやらないと真実は見えてこない。

裏。。。キツイ・・・いや、楽しいです。

というか、もしかしたら、今が表なのかもしれないね。

両面経験したら、真実が見えてくるはずだから、未来が楽しみだわー

 

最後に、タイトルの「神様の道を歩く」

「なんかヘン!( ̄д ̄)」と思われたかもしれません。

だって、神様の道って聞いたことがないですものね~

でも、これでいいの。

神様の道というのは、神様が歩かれる道、というわけではなく、「神様が用意してくれた道」という意味で書いているので。

なので、神様のための道ではなく、「我々個々のための道」という意味なのです。

その個々の道は、神様が用意してくださった、ということを書きたかった。

私たちは、生まれた時から、ただただ、その道を歩いているだけなのよ。

「神様なんていないよ」

と、笑う方もいると思う。

それならば、運命という言い方に変えましょう。

「我々個々が歩く運命にあった道」

私たちは、ただそこを歩いているだけ。

だから、起こることは必然。

そこに感情がつくだけのこと。

起こった事に対して「哀しい」「悔しい」「うれしい」「辛い」・・・などなど。

それは、人ぞれぞれの感情によるもの。

大きく揺れ動く感情の波の中で、起こっている事実をどう捉えられるかによって、先が決まってくるような気がします。

 

                           了 (やっと終わった・・・)

 

後記)

後記・・って・・・

まだあるんかい?(゜Д゜) ハア??長すぎるベ~

((^┰^))ゞ いやいや、ちょいとつけたし。

今回の「神様の道を歩く」のまとめはうまく説明できていないと自分でもわかってます。

というのは、たぶん、50%も書けていないから。

でもね、すべて書かなくてもいいのかな~と今は思っています。

いつか、時が来たら、マレーシアネタで残りの50%を書きたいと思います^^

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猛暑の東京から常夏のマレーシアに移動して、初秋に帰国したと思ったら・・・

ハロウィンの季節になってしまいましたsweat02

ハロウィンが来ると、あれあれという間にクリスマス、大晦日、お正月・・・

また新年を迎えてしまうのか~

光陰矢のごとし。

 

2014年を思い出すと、スタートは父と一緒だった。

年末年始、実家で父と水入らず。

父と二人で過ごしたのは、生まれて初めてだったかも。

私の作った料理で父と一緒にワインを飲んだことを思い出すだけで、胸がきゅんとなって、鼻がつんと痛くなる。。。

もう一緒にワイン飲めないんだなーって思うとせつない。

 

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これは、大晦日の年越し蕎麦のテーブル。

天麩羅は揚げるのが苦手だけど、がんばって手作り!

麺つゆも時間をかけて手作り。

食事制限のあった父なので、旨味を生かした調理に心がけた。

 

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おせち料理は会心の作!笑

すべて父のため。

父が喜ぶといいな~っていう気持ちでいっぱいだった。

大晦日の年越しディナーが済むと、私は十八番の牛肉赤ワイン煮の仕込みに取り掛かった。

おせち料理に入れるために。

あの年末年始は、何時間、キッチンに立っていたのだろう。

 

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で!

年が明けて元旦。

お重が完成!

我ながら感動した。

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上手に作れたとか、そういうことよりも、、、

お重の中に詰まったお料理がキラキラ輝いて見えたの。

「お父さん!私の愛がこもったおせちができたよ!美味しく食べてね」

っていう念が込められていたというか・・・

 

この時、私は気づいたのです。

塩分控えめで味にパンチがなくても、丁寧に出汁をとることで薄味が美味しくなる、と。

愛を込めて作ることはもちろん、手間をかけることで、もっともっと美味しいものができる!

そして、人々のからだが欲しているものは、これなんだ!と気づいたのです。

こんなこと、当たり前のように誰でもわかっていること。

私だってわかっていた。

でも、理解していても、体験を通して裏と表を経験しないと真実は見えてこない。

私は、「便利」と「手間」の裏表を経験することで真実を見出したのです。

気づいてよかった。

だから、父と過ごした年末年始は私の宝のような時間。

今は亡き父との思い出の時間は宝物。

でも、それと共に、この気づきをいただけたことは、私の宝の経験なのです。

それからというもの、我が家の食料品ストックから化学調味料の出汁や調味料がゴミ箱に消えていったのは言うまでもない!

 

この宝のような気づきは、私の人生のシナリオの上でマーカーで印すべき重要なことだった。

なぜらば、私は年明けから料理教室をスタートさせたから。

 

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私は2月に父のお見舞いに行った時に、こんなことを父に言っている。

「年末年始にお父さんにおせち料理を作ったことで、調理する上での大切なことを学んだよ。

それを知った上で料理教室を始められるので、間に合ってよかった。

あの時の経験がとても役に立っているの。

私、料理家としてがんばるね」

父はどう思ったのかな。

返事はなかったんだよね。

でも、私が料理家として紹介されている雑誌を手渡すと、私の出ている頁をじっと見ていたな~

言葉はなく、見入っていた。

 

そんなわけで、年始にドドーンと重要な学びを得て、その後、着々と脚本のストーリーを進めていった私。

1月から料理教室を始め・・・

1月、2月は、料理家としての仕事で雑誌に小さく出させていただき。

2月に父の突然の入院。

2月から、遠方の病院へのお見舞いと仕事の両立の日々が始まり、同時に参拝も頻繁に。

参拝の回数が増えたせいか、神様のご加護と思えるような不思議なことが数度起こり・・・

そして、深い深い学びを得て。

6月に現世の父との哀しい別れ。

父と別れたその日に、神田の小料理屋の女将仕事のオファーをもらい・・・

7月から、デイリーワークと並行して新たな仕事を始めた。

ちょっとからだがきつかったけど、意味があるはずだから、とがんばった。

 

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が、しかし!

女将仕事は、一ヶ月で終了。

私が入って一ヶ月でお店がクローズしてしまったから。

でも、私は、単に「クローズのために女将仕事終了」ととっていないの。

得るものを得たので、何らかの形で任務を終わらせた、ということなのかと思ってる。

だって、その神田のお店がきっかけで再会した知人に誘われマレーシアへ行ったのは事実。

たった一ヶ月間の女将仕事は意味があったのだ。

私の作った料理を食べたことがキッカケで「KLのダイニングバーを見に来てほしい」と誘われたのだから。

そして、「はい!」と答えた数日後に、私は一人でクアラルンプールの空港にいた。

 

P7107128.JPG

 

最終日、マレーシアの会社役員の皆さんに料理を作り、私のマレーシアでの仕事が決まった。

そうして、短い三泊四日の旅は終了。

 

P7137434.JPG

P7137437.JPG

 

が。。。

帰国したら、なんと、その翌日いきなりマレーシアの仕事のオファーがなくなった!

そして、8月に入り、マレーシアからのオファーが二転三転しているうちに、私はマレーシア行きを諦め始めていた。

ところが、、、そんな時に、再びマレーシアに戻るキッカケが。

 

今思うと、どうでもいいことなのだけど・・・

( ↑ この「今思うとどうでもいいこと」という前置きはかなり重要です)

ある発言に私の感情が逆撫でされ、ぶち切れた私は勢いに任せて人との縁を切る覚悟で崖っぷちまで走ってしまったのだった。

今思うとどうでもいい、ということは、その時は本来の私ではなかったのだろう。

なるべくしてそうさせられた、というか。

嫌な言い方をすれば、私の感情に流される性格を使われて、行くべき方向に押し出されたのかな~と思う。

シナリオに沿って進行するには、この時崖っぷちに走っていかなければならないのに、私がなかなか走り出さなかったものだから(^^;;

そのシーンに仕向けるような流れにならなければいけなかったのかな、と思う。

だから、今思うとどうでもいいことなのです。

 

さて、崖っぷちで私は震えることはなかった。

なぜならば?

 

flairシナリオに書いてあることとわかっていたから。

 

ただ、崖っぷちに一人立って泣きました。

やはり、シナリオ通りに進んだとしても、感情の波が大きく揺れる中の進行。

それは、心が傷ついてもしょうがない。

でも、泣くくらい、惨めな思い、哀しい思いで傷つくことを経て人は飛躍するのかな。

意味もなく泣けて泣けてしょうがなかった。

だけど、涙を拭いて崖の上にしっかり立った。

だって、飛び込むしかなかったから。

 

私は大丈夫!と信じていた。

そして、ジャンプしたタイミングで・・・

やはり、ヘルプが入りました。

 

そうです。

諦めていたマレーシア行きが戻ってきたのです。

 

ホント、人生、何があるかわからないものだよね・・・

海に飛び込まず、躊躇して後ずさりしていたら、今の私はいないんだから。

 

P7107115.JPG

 

でも、まだストーリーの一章は終わらない。

マレーシアに行ったことの先に大切な学びが待っていたのでね。

行くことで完結ではなかったのだよ。

 

8月下旬から一ヶ月間のマレーシア生活。

そして、マレーシアでデング熱になり、予定外の日程で帰国・・・

これも意味があったね~

シナリオに急遽書き込まれたものなのか、最初から書かれていたことかわからないけれど。

上手い具合にことが進むものだな~と驚いてしまう。

 

さて、日本に戻ると、少し涼しくなっていた。

私は、日本の地を踏むなり、言葉で表現できない違和感に悩まされるようになってしまった。

たった一ヶ月東京を離れていただけなのに、浦島太郎状態。

自分の居場所が違うような疎外感に苛まれ、一人でいることに安堵感を持つようになった。

でも、幸い、私は、マレーシアでの体験によって、自分自身が変わった、ということに気づいていたのです。

だから、不安はなかった。

自分の心が東京生活に適応していない、と理解できていたので、休憩しようと決めた。

そんなわけで、裕福でもないくせに、一ヶ月も何もしないで家にいたのです(^^;;

心を休ませるために。

まあ、充電期間と言っていましたけどねw

 

以上、前置きですwwww

 

|||||/( ̄ロ ̄;)\||||||| まじ~~?

前置きが長すぎたねwww

 

ごめんちゃいw

 

私の魂の言うとおり書いてるものだからww

まあ、要は、起こることには意味がある!ということです。

 

この長い前置きにも意味があるので、本文に進みましょう。

結びでよく理解できるはずです!

 

、、、と思ったけど、やっぱり長いよね。

私も疲れてきちゃった(爆笑)

 

ゴミンw

 

「あとがき3」に続く。。。

 

※更新する時間がなかなかとれず・・・

あとがき3は、もしかしたら、こんな書き始めかも。

→ あらら、、、いつの間にか、クリスマスの時期ですね。。。

 

||||||||||凹[◎凸◎;]凹||||||||||ガビーン!

 

Akeming.JPGのサムネイル画像

 

 

 

 

 

 

IMG00015.jpg

 

この写真が好きです。

父33歳、姉4歳、私2歳。

私、100%心から笑ってる。

ぶすだけどw

悩みなんてないんだろうな~

無邪気な笑顔。

心が洗われる。

 

私の誕生日は夏なので、着ているお洋服で想像するとクリスマスかな。

弟が生まれていない冬なので、私は2歳半。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

「神様の道を歩く」を前編後編に分けて書かせていただきました。

マレーシアでデング熱になったことで得た素晴らしい気づき。

その気づきは私に与えられたものなので公開しませんが、

その素晴らしい気づきを得られた過程を文章に残したかった。

 

で、今回は、そのまとめ、というか「あとがき」という形でシェアしたいと思います。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

さて、写真の話に戻ります。

この頃、すでに、2歳の明美の心の奥のどこだかわからないところで、誰かが待っていた。

「この子が気づくのはまだまだ先だな~」

ってあくびしていたかもしれない。

 

そうして、彼(彼女?)は、明美という名の女の子の成長を見守ってきた。

 

「やだやだ、気づいて!ダメだよ、そんなことしてちゃ!」

と、慌てた時もあったろう。

「そうそう!その調子!」

と、褒めてくれた時もあったろう。

「泣かない、泣かない。大丈夫だから」

と、慰めてくれた時もあったろう。

その存在は、明美の一番の味方だった。

明美が、安心してすべてをさらけ出せる存在。

 

人間としてこの世に生まれ、同じく人間の両親に育てられたわけだから、親に躾けられ、親の持つ常識を教え込まれた。

経験を通して、良き悪しきは関係なく様々な情報を得て、学問は学校で得た。

 

でも、誰が教えたのだろう?

私の奥の方にいる大切な存在を。

 

子供の頃から、私は心の友に気づいていた。

目には見えない。

だけど、心地よい相手。

存在を確認できないから、表現のしようがない。

表現する必要のない存在。

だって、誰もそんなこと一度も教えてくれないし話題にも出ない。

「あたしのここんところから声がしてたのしいよ」

なーんて、胸を手にして言わない。

声がするのは当たり前。

深く考えなかった。

とにかく、私は、その心地よい友と共に過ごし、癒されていた。

 

母に「あなたは本当に落ち着きがない子」と苦笑いされるような子供だった。

それは、その心の友と会話したり、一緒に歌ったり、踊ったりしていたから。

一人の世界に入ることが多く、友が踊って歌うと、私も現実の時間の中で踊って歌った。

笑~~~

今となっては母が心配するのもわかるw

だって、見えない存在を相手に遊んでいるわけだからw

日本人の子供が当たり前に日本語を喋り始めるのと同じように、私はその存在を当たり前として一緒に過ごしてきた。

 

そして、有り難いことに、嫁ぐまでは何の不自由もなく家族に育てていただいた。

家族に謙譲語を使うのは、心から感謝しているから。

お父さん、お母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、ありがとうございました。

IMG00043.jpg

 

不自由なく育ててもらった、というか、我が家は裕福な家でした。

父で四代目の医者の家。

先祖のみなさんが築き上げた一家に、私という人間が仲間入りしたことは意味があったんだな~と思います。

 

話は飛びます。

今年の2月に週刊誌に私が登場しましたが、読まれた方々は賛否両論でした。

賛否両論ってほど、影響はなかったけれどwwww

週刊誌の記事の内容が、いくつかのネットニュースに取り上げられ、あるサイトでは不特定多数のコメントが寄せられていたのですが・・・

 

P2155352.JPG

 

この記事は、夫が亡くなってからお金を稼ぐ大変さを知った、というような内容だったので、

批判する中には「でも、実家が医者なんだろう?」みたいなコメントを入れていました。

(しっかり読んでいないので詳細は忘れましたm(_ _)m)

記事の中に「医者だった祖父や父が・・・」というくだりがあったから。

「実家は医者なのだから、未亡人になったとはいえ援助をしてもらっていたはず」というニュアンスなのでしょう。

確かに、掲載された文章だけでは、本当の私を読み取ることはできません。

 

良き時代はあった。

でも、苦しい時代もあった。

夫が亡くなってから、私の判断でお金を失ったこと数回。

今となっては訓練の一環だったと思える出来事だけれど、お金がなくなったことは事実。

メンタル面がきつかった。

許せないものを許さなければならない苦痛。

それは、いい時代を経験していたからだと思う。

見栄に近いものもあったし、イイ時代を経験して生まれた自分の許容範囲があったのだと思う。

でも、その許容範囲を一新したことで生まれた新しい私。

こうなれたのは、良き時代もあり、苦しい時代もあったから。

それぞれの時代を対比して起こることの意味を考えられたので、いい訓練になった。

この訓練のおかげで、私の価値観が研ぎ澄まされていったのだから、様々な経験は、私が生まれた時から起こるべきことだったのでしょう。

 

話が飛びまくるので、少しまとめます。

●小さい頃から、私の中にいた不思議な存在のこと

●裕福な家に生まれ育ったけれど、成人してからのお金の苦労は訓練だった

と書きました。

 

これらのことは、前からわかっていました。

私の心の奥の存在を認めて交信し始めたのは、40歳の頃からだしね。

でも、心の奥深くまで浸透するくらいに過去の出来事の意味を理解できたのは、あのマレーシアのデング熱騒動のおかげなのです!

 

デング熱感染による高熱が出た晩、深夜に思い立ってとった私の行動・・・

解熱剤も飲み、首も冷やし、水を飲む以外に・・・

なんと!

高熱のからだでふらふらしながら、ホワイトセージを焚いたのです。

 

ここで、ホワイトセージの説明。

ホワイトセージとは、古代ネイティブアメリカン(インディアン?)が戦いの前に陣地を浄化していたと言われているハーブの一種です。

日本を発つ前に、パワーストーン専門家のジュリアちゃんから預かったホワイトセージ。

マレーシアでの住まいを浄化してね、と贈られたものでした。

 

私は、朦朧としながら、引き出しからホワイトセージを出して、キッチンのガスの火で燃やしました。

そうして、ガラスの器に煙を出すホワイトセージを入れて、広い住まいの隅の隅まで煙をたゆたわせ・・・

土地が浄化されたことを確認してから、ベッドに横になりました。

なぜ、ふらつくからだでこんなことをしたかというと。

 

それは、儀式を執り行うため。

 

エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ?

高熱が出ているのに?

 

YES。。。苦笑

 

私は、神聖な場所で儀式をしたかったの。

高熱が出ている時は、意識が普段と違う。

もしかしたら、あの時の私は、普段の意識がぶっ飛んで、普段使っていない意識が活動していたのかもw

 

何の儀式化というと・・・

 

かなり長文になっているので、次に続きますw

 

次は、タイトルに迷うな~www

あとがきのあとがき?

あとがきの続き?

 

(-ω-;)ウーン

 

Akeming.JPGのサムネイル画像

 

 

 

 

 

 

P9058670.JPG

 

@KLコンドミニアムのベランダ付近。

これは、自家製ラズベリージャム。

ラズベリーが半額だったので作りました。

 

この写真をトップにしたのは意味があります。

ジャムが主役なのではありません。

ジャムの背景にうっすら写る森の木々がメインです。

 

さて、私が住んでいたコンドミニアムは、海外からの駐在員が多く住まうエリアとはいえ、

そのエリアの端っこの、これからもっともっとビルが建つであろう区域。

すなわち、現在開発中の辺りに聳え立っていました。

 

P9058682.JPG

 

リビングルームから見える景色はこんな感じです。

 

P9078773.JPG

 

少し遠くにそそり立つ建物がMont Kiara(モントキアラ)の高級コンドミニアム群。

高速道路をはさんでこちら側は、緑が残されつつも建設中のビルディングがたくさん。

高層コンドミニアム地の予備軍といった感じです。

 

モントキアラは、ビルが建ち並んでいるけれど、私が住まっていたコンドからは緑が見えて心地よかった。

 

私が使わせていただいていた寝室。

P9078775.JPG

 

この部屋のうれしいことは、高速道路の向こう側に小さな山があったこと。

窓の向こうにうっすらと緑が見えるでしょう?

私は、朝起きると窓を開けて、山の木々に向かって挨拶したり、話しかけたりしていた。

 

KLでは日本語を喋る人がいなくて、独り言が多かった私ww

でも、この山に話しかける時は、独り言ではなく「対話」だったのね。

 

エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ?

山に誰がいたのかい?

 

壁|m`)ムフッ

 

それは、神様ですww

 

私のアタマがオカシクなったわけではありませんww

だって、私がへんなのは元々であるし(爆笑)

 

ディンギー(デング熱)になった時も、話しかけてました。

海外で一人ぼっちでへんな感染症にかかった意味を問うことに必死でした。

 

それは、対話でなくて独り言でしょ?( ̄w ̄) ぷっ

。。。と思うよね。

 

でも、しっかり、返事がきているので、私にとっては対話だったのです。

 

その返事の素晴らしかったこと。

からだの異変が辛かったことも、心が傷ついたことも、すべてその返事で一掃されたくらい。

なぜならば、

「あ~、なるようになっただけなんだ~」って思えたからです。

 

私は、神様の道を歩いているだけなんだな~って思えてうれしかったです。

「デング熱でよかった」とさえ思いました(もう感染したくないけどww)

 

だって、ただの風邪だったら、気づきはなかったし。

これ以上重い病気だとからだがきつかっただろうし。

しかも、デング熱になるっていうのは、KLに着く前から決まっていたんですよ。

きっとね・・・

本当は、私の人生のシナリオに書き込まれていたのは別の病気だったかもしれない。

なのに、デング熱になったのは、意味があったのです。

その後、東京で流行ったから。

dangerすべて私の勝手な推理ですw)

 

KLでインターネットができない時、Gmailは使えたの。

なので、Gmailに入る朝日新聞のネット配信お知らせだけ読むようにしていたのね。

タイトルだけは読めたので。

(※正確に言えば、ネットできる環境の時もあったけれど、滞在時の半分以上はインターネットから離れた生活だった)

 

私は新聞は読まないのですが、たまたま出発数日前に配信申し込んだものでした。

その理由がww

海外に行くから、日本の情報を!・・・というわけではなく・・・

配信を申し込むと、ハワイ旅行が当たる!という企画に誘われてww

読むつもりもなく申し込んだの。

 

ナハハww

 

インターネット依存症の私だったので、詳細が読めなくてもニュースのタイトルを読むことだけでも楽しかったのねw

詳細はインターネットにつながないと読めないにしても・・・

タイトルだけ読むことで、日本と繋がって安心していた。

 

そんなある日の配信タイトルで目に飛び込んだのが「テング熱」

 

天狗熱?!(  ゜ ▽ ゜ ;)

へんな病名・・・

天狗の鼻のように、鼻の腫れる熱病かしらん。。。

 

オイオイ・・ (;´д`)ノ

 

テング熱じゃなくて、デング熱!!!

 

笑~~~~

老眼が進んでいたこともあって、濁点読み違いwww

そして、鼻が腫れる、なんて、笑える解釈www

 

「天狗熱って病名がこわいな~」(アホw)

そう思った朝、姉からショートメールが届いた。

「こちらでは代々木公園で蚊に刺された人がデング熱に感染したと判明。大騒動だよ」

 

私は、すぐに反応して返信。

「ネットニュース配信で見たよ!不気味な蚊だよね。私が帰る頃はほとぼり冷めているといいな」

 

この時、まさか、自分がデング熱にかかるとは思わず。。。

熱が出る数日前の朝だった。

予備知識を得られたことに感謝だね。

日本で流行っていなかったら、まったく聞いたことのない病名だもの。

鼻が腫れる病気と思うくらいだし(爆笑)

 

姉のメッセージをよーく見たら「天狗」じゃなくて「デング」ww

あほな勘違いに気づくと共に、デング熱という病名がインプットされたわけ。

ニュースを読まなければ気づかなかった病名。

そして、姉のメッセージによって「天狗熱デング熱」は、印象的に私の脳にインプット。

 

なるようになっているんだねww

 

こういった前触れがなければ、私は熱が出た時に「もしかしたらデング熱かな」と気づかなかった。

高熱が出た翌日、友人に「蚊のウィルスのような気がする」と言っても、「ディンギーは入院するくらい重症な病気だから違うよ」と言われ・・・

クリニックで「蚊に刺されたのですが」と言っても、ドクターは「そんな簡単にディンギーにはなりません」と笑っていたし。

 

天狗熱と勘違いしたアホな事実が、より一層、デング熱情報の収集に必死になれた。

しかも!

天狗熱デング熱を知った日に、再びインターネットできるような環境に!

お友達のヘルプがあって、そういう環境を作ってくれたのですwink

 

こういうストーリーをどう思います?

誰かのヘルプが入っていると思えるような展開。

 

私は、人生のシナリオに書かれていたこと、ととります。

すなわち、私は海外で病気になる運命だったのだととります。

 

海外で病気になる運命だったのであれば、どんな意味があるのか?

それは、病気になることで学ばなくてはならないことがあったという意味です。

 

帰国して・・・

「ついてないよ~。デング熱になっちゃってさ~」

って愚痴るだけでは、何の成長も学びもない。

 

私は、高熱になった時点で、「何かあるぞ」と勘繰っていたので、気づきは早かったのです!!

 

私の「勘繰り」は、悪い意味のものではないですよん^^

余計に不安をあおる、という意味の勘繰りではなく、不安な事実から先を読む、という意味の勘繰りです。

でも、魔法使いでも預言者でもない私だから、勘が外れることはあります(^^;;

 

外れた~~~||||||||||||||(* ̄ロ ̄)ガーン||||||||||||||||

ってショックを受けて終わっちゃいけない。

 

ここが重要flair

勘が外れても、外れたことから先にたどっていくと、結果に導かれる!!

 

また長くなっちゃったww

 

後編だけど、終わらないよ(^^;;

 

Akeming.JPGのサムネイル画像

 

 

 

 

 

 


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